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少年の夢は今羽ばたく



一心不乱に壁打ちを続ける。
待ち望むのはただ、彼の姿。
桃城からの連絡で彼がこちらに戻ってきたのは知っている。
それなら彼は絶対ここに来るはずだった。


あの日、2人が闘ったこの場所へ。


高架上を通る電車の音が、ボールが壁から跳ね返る音をかき消す。
流れ落ちる汗を拭いもせず、リョーマはただボールを追った。


数ヶ月前のここでの会話が蘇る。
敗北を知らなかった少年にとって、目の前の相手は実際の何倍…何十倍にも大きく見えた。

「強くなるのだ、お前には敵がいる」

彼にとって、父親以外の初めての壁は、短く、単純な一言を告げた。

父親を倒す以外の力や目標など必要なかった。
彼にとっては、目の前の強敵である父親が全てだった。
世界や全国制覇になんて興味ない。親父以外に強い奴なんてありえない。
幼い頃から父親によって施されたテニスの英才教育。
アメリカジュニア大会3連覇を遂げた実力がそれを物語っていた。

だから、目の前に立つ男に手も足も出ずに完璧に敗北した事が信じられなかった。
少年は、井の中の蛙という言葉の意味を初めて知った。

(強くなりたい)

初めて本心からそう思えた。

目の前の強敵を倒していくワクワク感。
敵わないと思う相手に挑んでいく勇気。
そして、それによりもたらされる勝利の喜び。

少年は忘れていた気持ちを思い出した。


同時に少年は知った。自分が彼に期待されているという事を。

「お前は青学の柱になれ」

言葉は抽象的だった。でも、言わんとしている事はよく分かった。
期待される事がこんなにも嬉しく、また、プレッシャーになるという事を少年は初めて自覚した。


もう何度目かも分からない電車の音が少年の打つボールの音をかき消す。
静寂の戻った高架下のコートに、青と赤のトリコロールカラーのジャージを身にまとった、長身の男の姿が現れた。
少年はにやりと笑う。

「遅かったっスね、手塚部長」
「ああ、待たせたな、越前」
「本当、待たせすぎっスよ」

憎まれ口を叩きながらも少年の顔は嬉しそうだ。
男は、肩からかけていたバッグを下ろすと、中からラケットを取り出した。

「まさか腕はなまってないでしょうね?」
「お前自身の目で確かめてみろ」
「そう来なくっちゃ」

余計な言葉は2人の間には必要なかった。
少年が空に放った黄球は青空を背景に陽光を反射し、1度、強く瞬いた。



05.01.11



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